にんじんと兄のフェリックスは、夕方の祷りから戻ってくると、大急ぎで家にとびこむ。四時のおやつの時間だからだ。
兄のフェリックスは、バターか、ジャムのついたパンをもらうだろう。だが、にんじんのはなにもついてないやつに違いない。といのは、あんまり早く大人ぶろうと思ったかれは、みんなの前で、ぼくは食いしんぼうじゃない、と大見得をきってしまったからだ。かれはなにものも、自然のままのものを好み、ふだんから、わざときどって、なにもついてないパンを食べている。だから、その晩もまた、かれは兄のフェリックスよりも足ばやに歩いている。第一番にパンをもらおうと思っているからだ。
ときには、なにもついていないパンは、固いらしい。すると、にんじんは、まるで敵を攻撃でもするかのように、それに襲いかかって行く。かれは、ぐっと相手を掴み、がっぷりと齧りつく。頭突きの一撃をくらわし、こなごなにし、こっぱみじんにしてしまう。まわりにたむろしている親兄弟は、好奇の目を輝かせて、かれを見つめている。
だちょうのそれに近いかれの胃は、きっと、石であろうと、緑青のさびついた古銭であろうと、なんでも消化してしまうに違いない。
要するに、かれはなにを食べたって平気なのである。
かれはドアの掛け金をはずそうとする。だがドアは閉まったままだ。
――きっとお父さんもお母さんもいないんだよ、兄さん、脚で蹴ってみてよ、と、かれはいう。
兄のフェリックスは、「このやろう」と叫びながら、飾り釘が並んでいる重いドアに飛びかかる。ドアは長い間、音を鳴り響かせる。それから、こんどは二人で力を合わせて肩でやってみるが、むなしく肩のほうが傷つくだけである。
にんじん――確かにいないな。
兄のフェリックス――どこに行ってるんだろう
にんじん――そんなことまで、わからないよ。座っていよう。
階段の石がお尻にひやりとする。二人は常ならぬ空腹を感じてくる。あくびをしたり、みぞおちを拳でたたいたり、二人はあれこれ、空腹の激しさを表現する。
兄のフェリックス――お父さんたち、こっちがおとなしく待っているの思っているのかな。 とんでもない!
にんじん――でも、それよりほかにいい方法もないじゃない。
兄のフェリックス――待ってなんかいられるかい。ぼくはまっぴらだ。飢え死になんて。今すぐなにか食べたいんだ。なんだってかまやしない。草だっていいさ。
にんじん――草だって! そいつはいいや。これには、お父さんたちもいっぱい食うな。
兄のフェリックス――考えてみろ! だれだってサラダをよくたべるじゃないか。ぼくたちだけの話だけどさ、たとえばうまごやしなんか、サラダと変わらないくらい柔らかだよ。油も酢もつけないサラダってわけさ。
にんじん――かきまぜる必要もないしね。
兄のフェリックス――賭けようか。ぼくはうまごやしをたべる。だけど、おまえはきっとたべられないだろうな?
にんじん――なぜ兄さんにたべられるものが、ぼくにはだめなの?
兄のフェリックス――たべられっこないんだよ! まあ、いいから賭けをしよう。
にんじん――うん、でもその前に、隣へ行って、パン一きれずつと、ヨーグルトをもらってこようよ。そうすりゃ、賭けなんかしなくてもいいんじゃない?
兄のフェリックス――いや、ぼくはうまごやしのほうがいいな。
にんじん――そんならそうしよう。
じきに、うまごやしの畑が、目の下にそのおいしそうな緑をくり拡げてくる。そのなかに脚をふみこむと、たちまち、二人はうち興じて、わざと靴をひきずり、柔らかな茎をふみつぶし、狭い道をつける。この道はきっと、いつまでも人々を不安がらせ、こう、かれらにいわせるだろう。
――いったいどんな獣がここを通ったのだろう?
ズボンの生地を貫いて、冷たい風が、しだいにしびれ始めてきた脛のあたりに浸透してくる。
二人は畑の真ん中で足をとめ、腹ばいになる。
――気持ちがいいね、と兄のフェリックスがいう。
顔がくすぐったい。二人は、その昔一つベッドに共寝していたころのように笑い興じる。確かあのころは、ルピック氏が隣の部屋から、よくどなったものだった。
――坊主ども、いいかげんにねたらどうだ?
かれらは、腹のへっていることを忘れて、水夫のまねをし、犬と蛙のまねをして泳ぎ始める。二つの頭だけが浮かびでている。二人は容易く折れる緑の小波を、手で切り、足で押し返す。一たびうち倒された波は、二度と立ち上がらない。
――ぼく、顎にさわるぜ、と、兄のフェリックスがいう。
――ほら、みてごらん。ぼく、こんなに進むよ。と、にんじんもいう。
二人で一休みし、もっと静かにかれらの幸せを味わわねばならない。
そこで、二人は肘をつき、もぐらが掘った、ふっくらとした通り路を目で追ってみる。
それは、皮膚から透けてみえる老人の血管のように、地面すれすれにジグザグをなしている。
見失ったかと思うと、また、あき地のあたりでぽっかりと口を開いている。
そのあき地には、みごとなうまごやしを食い齧ってしまう、
あのコレラ菌のような悪質な寄生虫、ねなしかずらが、その赤っぽい小繊維の髭をのばしている。
もぐら塚はその場所に、インドふうの小屋をいくつも建て、小さな村落をつくっている。
――これで万事終わりというわけじゃないぜ。 と、兄のフェリックスがいう。さあ、たべよう。始めるよ。
でも、ぼくの分に手をつけちゃいけないぜ。
かれは腕を半径のように回して、円を描く。
――ぼくは残りものでいいよ、と、にんじんがいう。
二つの頭が消える。もうだれにも二人はみつけだせない。
風が快い吐息を吹きかけ、うまごやしの薄い葉っぱをひるがえし、その蒼白い裏地をみせると、畑が一面に、
次々と身ぶるいする。
兄のフェリックスは、腕にあふれるほど秣をひきぬく。それで頭を包みかくし、いかにも口につめこんでいるふりをする。
そして、わざと、やっと一人だちしたばかりの子牛が、草を貪りたべるときにさせるあの顎の音までもさせてみせる。
かれはなにからなにまで、根にまでも食べこんでいるようにみせかける。ことの道理をよく知っているからである。すると、
にんじんのほうはそれをまじめに受け取ってしまう。かれは、より神経質に、美しい葉っぱだけを選りぬいてみる。
その葉っぱを、かれは鼻の先で曲げ、口に運んでくる。そして静かに噛んでみる。
なんで急がなければならない理由があろう?
一卓を予約したわけでもないのだし、橋の上の市のようにせかされる必要もない。
こうしてかれは、歯を軋らせ、舌に苦味を感じ、胸をむかつかせながら、呑みこむ。大御馳走を味わったのだ。
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