過去の丼



 

2003年7月1日(火) 係長 ―今日は4件の書店をハシゴした。

 せっかくの休みだし、1巻だけ無くした本を探していたんですが。なんですか「新しい単位〜世界単位認定協会」 って。読後はバカドリルやら鉄拳劇場やらに勝るとも劣らない脱力感に襲われること請け合い。 パラパラめくってたら高校時代の恩師に会ってしまったので購入を先延ばしにできました、止めてくれてありがとう、先生。 でも大島弓子選集全16巻は近日中に買ってしまうでしょう。
 できたら買いたくないのに買ってしまう本にファイブスター物語があります。 読んだらすぐ捨てて、 自分はこっちの世界の住人じゃない、と言い聞かせています。この本が身近にあるとかなり弱気です。私を見ないでくれ、と叫びたい気分です。

 そうそう、入院してた話ですが。
全身麻酔で手術をするため、抗生剤チェックのための注射と、麻酔科のセンセイから説明がありまして、 「麻酔薬を注射するとすぐ呼吸が止まりますので生命維持のため挿管します」だとか 「挿管したチューブで舌が圧迫されるため、しばらく味覚がおかしくなることがあります」だとか 「麻酔が切れかけた際、無意識にすごい力が加わって口を噛んでしまうことがあります、時々、前歯が折れることもあります」などなど 楽しい説明が盛りだくさんでした。
喉の手術だったので、チューブが挿管されているのにどうやって手術をするのか? まさか途中でチューブ抜いて、ちゃちゃっと片付けるのか、その際麻酔が切れたら痛いんじゃないの?と聞いたところ、 挿管したチューブの脇からほっそい器具を突っ込んで、やっつけるんだそうです。職人技ですね。
残念ながら、喉も切らないそうです。
安心しました。
なのに、3日目に手術する予定だったのが、体調不良のため次の週に延期になりまして。 仕事しなくていいしメシは出てくるし、これがまた病人に食わせるのが勿体ない位美味でした。
栄養士さんがナイスガイだったのもポイント高かったです。そうして延期になった1週間はまるで家畜のように飼われていました。

2003年7月2日(水) 係長 

こういうニュースを見るたびに、あの夏を思い出します。 私の父親もボロアパートで一人で死んでいました。 月に一度か二度、喫茶店で会ってたわいもない話をするくらいしか接点がなかったのですが、あるとき約束の時間に父は来ませんでした。 日にちを間違えたのかと思い、数日続けて待ち合わせ場所に通い、そして異変を感じました。
「腹減って動けないんじゃないか?」と。 雨の日でした。
父は米を炊くと電気代がかかるといって、インスタントラーメンばかり食べていたので、袋ラーメン5食パックのみそ・しお・しょうゆ味を買い、アパートへ向かいました。ドアにはチャイムもついておらず、ドアを叩き続けましたが返事はありません。
「寝てるのかな?」
寝てるとこを邪魔しちゃ悪いと思い、近所に住むアパートの大家さんを訪ねました。 父は、外出するときに大家さんちの前を通りかかったときは、いつも挨拶をしていた、と聞いた記憶があったからです。 ですがあいにくの雨模様で、大家さんも出かけたのかどうかは判らない、とのことでした。 アパートへ戻り、父の部屋のドアにある新聞受けからみそ・しお・しょうゆ味の順にインスタントラーメンをぐいぐいと突っ込みます。ゴソリゴソリと落ちていく音を聞きながら、
「まぁこんだけあれば大丈夫だろな」 とのんきにつぶやき、部屋を後にしました。 そして数日後。
「あんたのお父さんだった人が亡くなったそうだよ」
と連絡を受けました。遺体は解剖にまわされ、私が訪ねた時には既に亡くなっていたことが判りました。
そして、自分が殺人の容疑者になっていたことも。
死亡推定日の前後に、大量のインスタントラーメンを持った人間が大家を訪ねており、またそれと同じと思われる大量のインスタントラーメンが、玄関に投げ入れられていたため警察が不審に思ったようです。
まさか親殺しの犯人にされかけていたとは。
死因は血栓ができてそれが詰まったためのようですが、インスタントラーメンと血栓にどんな関連があるんでしょうかね。

2003年7月3日(木) 係長 

 入院中はいろんな患者さんと相部屋になりました。差額ベッド代なんて誰が払うか、という考えでしたので。
糖尿病のせいでもう足の指がないのに、隠れて売店で大福を買うおばさん、 朝4時半から「俺は偉いんだぜ自慢話」を大声で話す向かいの病室のおじさん、 一日中テレビをつけっぱなしでテレビに向かって返事をしたり話し掛けるおばさん、 看護師や主治医には「もう平気です痛くないです」と言うのに、 彼らが居なくなると相部屋の患者に「医者さまは何もしてくれない、ああ痛い痛い」と愚痴るおばさん、 酸素マスクをつけた患者の枕もとで、大声で死亡保険金の話をする見舞い客。
 自分の目で見るまで信じられませんでしたが、 「自分の子供は可愛くて叱るなんて無理」と豪語した付き添いの母親(しかも同年代)
 皆さん病気なのである程度は我慢しましたが。
 奥さん、あなたのお子さん(推定小学2,3年)は脱衣所でも、風呂場でも人の裸をじろじろ見てましたよ、 奥さんのそばに居ないで人が身体洗ってる横で前を覗き込んでましたよ、 ある意味で将来有望な子供になっていますよ?
そりゃぁ、見たくらいでは減りませんが、奥さん、今日は男性の入浴日じゃないんですよ?  入院料も払ってないくせに、患者よりでかい態度で風呂に入ってる奥さんもどうかと思いましたがそうやって甘やかされた息子さんの将来が楽しみだなぁ。
 

2003年7月4日(金) 係長 

 入院中、病棟のトイレは男女トイレの間に「汚物処理室」なるものがありました。 病院の汚物というと「肝炎感染」とか「MRSA」とかぶっそうなニュースを見ていたので 最初のうちは避けていましたが、その怖い部屋のカーテンの奥に、病衣を返却する洗濯かごがありました。 週に3回、病衣を交換するためどうしても入らなければならないのです。
 恐怖です。
 病棟の風呂に入っていて、親切なおばさんが「背中、流してあげようか?」と言ってくれても、
「いえいえ、もうあがるとこですし (あなたが肝炎キャリアだったり皮膚病もってると感染しちゃうかもしれないじゃないですか、 それにお返しに背中流してあげようものなら感染確率は2倍になるしタオルも汚染されちゃうし絶対嫌)。。。」
と慎み深くお断りするくらい、感染に恐れをなしていたのです。 だって目の前で黄疸な人とか全身包帯ぐるぐる巻きな皮膚科の患者さん見ちゃったんだもの。

 そうして恐がっていた私ですが、ある日を境に汚物処理室へ入るのが楽しみになりました。
「ピンポーン♪ 登録します」
「ピンポーン♪ 尿を入れて下さい」
「ピンポーン♪ IDカードを入れて下さい」
「ピピピ、、、ピンポーン♪ 登録が完了しました」
銀行ATMのようにサワヤカな電子音でガイドする、その機械の名は全自動蓄尿器。 糖尿病で、重症で、一日の尿量を計測する人だけ、選ばれし者だけが使えるマシンです。
これがない病院だと「尿ガメ」に溜めておくのだそうです。 それとおぼしき透明なガラス瓶も、たしかにそこにはありました。 常に他の患者さんと比較される緊張感。尿が減らないジレンマ。 溜めることが目的の瓶なのに、溜まってもけして喜べない複雑な心境。 そうした糖尿病患者さんのことを思うと、胸が痛くなります。
 蓄尿器を使ってたおじさん、一部始終を見ててごめんなさい。あと、糖尿病の説明してくれてありがとう。 でも手はちゃんと洗おうね。
   

2003年7月5日(土) 係長 

 入院中に言われて嫌だったのは、家族からの「手術なんて大したことないさ」「頑張れ」でした。頑張るのは医者で、私が切る訳じゃないので頑張りようがありません。
 手術当日。
前の日の夜以降、絶食・水も飲まないようにとの指示があって、とても気がたっています。
「手術の翌日から食べられるんですよね?」
と看護師さんに何度も確認して、落ち着きを取り戻す始末です。
(後日、隣のベッドの子供が「なんで私だけゴハン食べられないのよー?」と朝から絶叫しているのを見て、自分もやればよかったと後悔しました。)
午前中から点滴、薬を飲みますがここでも「水はちょっとだけにしてね」と釘をさされます。午後まで空腹に耐えながら待って、浣腸です。 朝出たよ? どうしてもダメ? と食い下がる私。 「これはやらなきゃいけないのよー、麻酔科のセンセイから指示が出てるからねー」と言われては諦めざるを得ません。
これでかなり具合が悪くなり、トイレでくらくらしながら、失敗したらこいつのせいだ、とつぶやいてみます。
いよいよストレッチャーに乗せられます、わーい。元気だから自分で乗りますよ。手術室へ私を運ぶがいいわ!ホホホ!
軽くハイになったところで、手術室へ到着です。
 ・・・なんか、こ汚くなあい? がらごろがらごろ(←ストレッチャー移動中)
棚が古めかしくて注射器の箱やら、薬品の箱にホコリがつもってなぁい? がらごろがらごろ
「ハイとうちゃくぅ〜」え、ドアないんですか? 他の手術室としきりがあったりしなくて良いんですか? ベッド斜めじゃないですか? とか思っていたら、「ハイ麻酔ぃ〜」点滴の管に、小さい注射器で麻酔薬をちゅー。 注射器をぽいっ。もう一度ちゅー。ぽいっ。
「あれー、これで終わりですかぁ?」「そうだよーん、こんだけ! すぐ眠くなるからね(嬉しそう)」患者だけでなく、麻酔科医までハイになってませんか。
「先生こないだ足の付け根に管刺すって言ってなかったっけかー?」
「ああそれはキミが寝てからやるから痛くないよ〜」
「ああ良かった、痛いんじゃないかと心配だったんですよ。」
「ふっふっふ」そうしている間にも血圧測定の機械や心電図の機械がくっつけられていきます。ぺたぺたん。くすぐったいです。
 ぽいっ。顔の上に、ぞんざいにテレビで見たことのあるマスクが置かれます。「それはねー、酸素マスク〜。動かないでね〜」
「ふわぁーい」

返事をしたところで記憶が途切れています。今思い出してみてもかなりのんきな手術室だったなぁ、と思います。
     

 

2003年7月6日(日) 係長 

 手術が終わって気が付いたら地震が起こっていました。
「ああ手術中じゃなくて良かった」と思いましたが、しばらくしても揺れが収まらないので何事? と目を開けたら揺れているのは自分だけでした。
手術して体の一部を切り取ったせいで、高熱が出たようです。「電気毛布、熱くない?」と遠くで声がしますが、寒くて寒くてたまりません。がたがたがたがた。
「うえ。」 呼吸が苦しくなってきます。「苦しいの? でも血は飲んじゃダメだよ、吐くからねー」またも遠くで声がしますが苦しいんだよ?  鼻の奥にでっかい鼻水が溜まってるみたいで口は渇いて舌は痛いしツバでも飲まなきゃ苦しくてやってられんっての!
「ふがふが・・・」 声も出ません。「ノド渇いたの? でもまだ水は飲んじゃダメよー」 ←じゃぁ聞くなよ! まるで拷問だよ!
口に濡らしたガーゼがあてがわれましたが、焼け石に水ってまさにこのことだよー、とちょっと涙目になりました。
「ここにティッシュがあるからねー、痰飲んじゃダメよ〜」 ←あれもダメこれもダメかいっ
ああ手術するなんて言わなきゃ良かった、痛いよバカ、下手っぴ。 などと思いつつ、手術日の夜は更けてゆきましたとさ。
次の当番のときは、手術後晴れてゴハンを食すときのことなどを書こうかと。  
     

 

2003年7月7日(月) 委員長  

 出張で立ち寄った駅に、おおきな七夕飾りがありました。ああ、そういえば今日は七夕でしたね、すっかり忘れてました。そういえば子どもの頃は短冊に、とりたててお願いごともないので困り果てたあげく、「おとうさんとおかあさんがあまりケンカしませんように」と書いたら幼稚園の先生にダメ出しされ、しかたないから「おうちがたのしいといいです」と書きかえたものの、まだ先生が渋い顔をしているのを察知し、「パン屋さんになりたい」と心にもないことを書いたものですがまあ思い出話はさておき、どれどれ、どんなお願い事が書いてあるのでしょうねえ。


末テストでいい点をとりたい」


 うん、たぶん無理。(笑顔)

2003年7月8日(火) 委員長  

 もうじき三十才、記念になることがしたくて、ピアスの穴をあけようとおもいたちました。でも度胸がたりないので、病院であけてもらいます。
 で、決めたはいいんですが、病院って、何科に行けばいいんでしょう。
 ピアスをしているまわりのひとに聞いてみても、自分であけたとか、海外旅行先であけたとか、参考になる情報がえられません。耳だから耳鼻科かとも思いますが、皮膚科のような気もします。
 さてどうしたもんかなあと思いつつ、ピアスの売り場をうろうろしていると、店員さんが声をかけてくれました。

「どういったものをおさがしですか?」
「あー、これから穴をあけたいんですけど・・・病院で」
「ファーストピアスですね。こちらが病院であけてもらうタイプになります」

 ふんふん、最初はしばらくつけっぱなしにしなければと聞いてましたが、だからでしょう、シンプルなデザインばかりです。これを買って、病院に持参すればよいのかな?

「あのう、病院って、どこにいったらいいんでしょう。耳鼻科ですか、皮膚科ですか」
「あらぁ、それなら、うちで病院のほうを紹介していますよー」
「あ、そうなんですか。で、耳鼻科ですか、皮膚科ですか」
「このへんじゃあ紹介してるのは、うちだけなんですよー」
「あー、そうなんですか。で、耳鼻科・・・」
「あちらの2号店では病院のほうの紹介はしてないんですよねー」
「はあ・・・、で、耳鼻科なんですか、皮膚科なんですか」
「だいじょうぶですよー。うちで紹介しますからー」
「あ、いや、だから・・・・」
「だいじょうぶだいじょうぶー」


 どうして耳鼻科か皮膚科かおしえてくれないのでしょう。もしかしたら全然違う外科とか内科とか小児科だったりするんでしょうか。や、そんなはずはないでしょう。だいたい何科なのと聞くと目をそらすあたりがあやしい。もしかして「病院のほう」ってのは、この店員のお友達が病院の受付かなんかやってるってだけの話なんじゃないでしょうか。あるいは病院の方角に住んでるだけとかそういうオチなんじゃないでしょうか。きっとそこへ行くとやけになれなれしいねーちゃんがいて、やけにウキウキとこう言うのです。
「あたしこういうの得意なのー。待ってて、氷と消毒液とってくるからー」
「って、え、病院の先生とか看護婦さんがやるんじゃないんですかっ」
「だいじょーぶよー。マユとかリエのもね、あたしがあけてあげたんだからっ」
「いや、ってか誰だよマユとかリエって! あ! それってソニプラで500円くらいで売ってるピアッサーじゃないですか、私はもっとちゃんとしたお医者さんにやってもらいたくてっ」
「あーもぅ、動いちゃだめでしょー」


バチン。



「あのう・・・」
「はい?」
「覚悟決めてから、出直してきます」

2003年7月9日(水) 委員長  

 活字中毒の方なら身に覚えがあるでしょうが、本って、けっこう高いんですよね。へたすると家計を圧迫してしまいます。読みたい本を欲望のままに買ってしまうと、給料日前でもないのにふところに冷たい風がびゅうびゅうふきあれるはめになるんですよ。
 で、今年から、毎月お給料が出たら五千円分の図書カードを買うことにしたんです。一ヶ月に本に使っていいお金は、五千円。図書カードがなくなったら、次のお給料日までガマン、というわけです。
 あれもこれもと本を抱えても、レジにいくまえに図書カードの残高を確認しなければならない。これが功をそうしまして、次のお給料日がきてもまだ図書カードには残高がある、なんてことがたびたびありました。

 まあ、新刊にとびつくタイプではないので、普段はブックオフや神田の古書店でよく買うんですがね。

 え、古本屋では図書カードは使えないんじゃないかって?

 ええ、だから現金で支払っておりますが、それがなにか?


 それに近辺に大きな書店がないから、Amazonもよく利用します。売れ筋じゃない本も手に入るし、千五百円以上買えば送料無料だし、便利ですよ。

 え、支払い方法ですか? そりゃあクレジットカードですが、それがなにか?

2003年7月10日(木) 委員長  

今日はまじめなお話を。

 最近あまりとりざたされなくなりましたが、「どうして人を殺してはいけないのか」という問いがありましたね。雑誌では各界の有名人だの知識人だのから集めた「答え」を特集したり、本が出版されたり。で、答えは出たのでしょうか。

 答えは、それぞれがそれぞれの形で出せばいいと思っていますが、私自身が、いつか自分の子どもに問われたらこう答えようと用意してあるのがあります。

「それがルールだから」

 サッカーにおいて手でボールを持っていいのはキーパーだけだとか、ラグビーで前にパスしてはいけないとか、そういうルールのように。「人の命は地球より重い」という価値観を選択したこの社会で、わたしたちは生きているのだから、「人を殺してはいけない」は、生きていくうえでのルールだと。こんなあっさりした答えでは子どもは納得しないかもしれないけれど、このルールがない世の中を想像すれば、どうして「殺してはいけない」のかわかるはずだと、私なりの答えとして、胸にしまってありました。

 どうもいま、その、ルールがない世の中、そうならないために想像してみるだけだった世の中に、いま、現実になってしまっている、そんな気がしてなりません。
 今朝の新聞で報じられていた、長崎市の幼児誘拐殺人事件。つい数日前までは、防犯カメラに容疑者らしき男の姿が映っていたとくりかえし報じながら、かんじんのその場面が放送されないのをいぶかしく思いこそすれ、映っていたのが明らかに未成年者だから配慮したのでは、などとは考えつきもしませんでした。
 人を殺した結果が、「補導」。むやみに罰を重くしろというのではありません。ただ、人を殺した子が、数ヶ月か数年かはわかりませんが、それほどの罰もなく、保護され、指導されただけでもとの場所にもどってくるというなら、その時まわりの子はどう感じるのでしょう。人を殺すということについて、どんな思いを抱くのでしょう。あまりに軽い報い――それを想像するにつけ、怖いと私は思います。

 いえ、少年法の適用年令を引き下げろといっているのではないのです。それに、こうなったのも教育が悪いだとか、親が悪いだとか言ってみてもはじまらない、いえ、もうそんな責任のなすりつけあいをしている状態ではないのではありませんか。

 どうしてこんな世の中に、とうめきたくなるような事件がおきるたび、思い出すのは、マイケル・ジャクソンの「Man in The Mirror」、世界をよくしたいとおもうなら、まず自分からはじめよう、鏡の中の男から変えていかなきゃだめなんだ・・・・・・ 
 この事件を、けして特殊なこと、12才という年令に限ったこととして扱うことなく、こういう事件を生み出した社会の構成員であるひとりひとりが、自分の問題として考えて――変わっていかなければ、本当に、ルールのない世の中になってしまう――そしてそれはもう、目の前どころか、すでに睫毛を焦がしてしまうほどのところへ、せまってきている、そんな気がします。


 らしくない、おどけのない文章を書いてしまいました。本日のところはお目こぼしを。活字中毒らしく、本の紹介でしめくくりましょう。
 十年ほど前の本です。『コミュニケーション不全症候群』(中島梓:著)、コミュニケーション不全――他者を、人間と認識できない人が増えていると、そこには書いてありました。この本で、「いずれこういう世界になってしまうかもしれない」と著者が危惧していたとおりのことに、いま、なっているのかもしれません。でも、まだ、間に合うかもしれない――この本を、読んでみてほしいです。

2003年7月11日(金) 委員長  

 今日の昼間はかなり暑かったのですが、夕方になって、まさに夕立、というような雨。帰宅する頃には雨もあがりましたが、こんどはひどくむしむしする暑さに。こういうときは体調をくずしやすいんですよね。楽しい週末のためにも、ちょっとスタミナつけたいところです。


 でも、あんまり暑いからといって、扇風機にあたりながらおろしニンニク入り納豆ご飯を食べるのはお勧めしませんよ☆


 ・・・・・とりあえず風呂はいってきます。ああネバネバする。

2003年7月12日(土) 委員長  

本日の本『浮世絵 消された春画』
図書館の書庫にあったものを借りたんですが、
こういう本に限って、
「こちらの本でよろしいですか?」
と館員がご丁寧に元気よく確認しやがる、
という気がするのは、ただの被害妄想です。

 女よりも男のほうが、ロマンチスト、夢みがち、とはよく言われることです。みなさんのまわりではどうですか。ホント、そうだよなあ、とうなづきたくなるような男の人、いませんか。

 バンドをやっている友人(男)がいます。自費でCDをつくったりして、いつかはプロになることを夢見つづけている人です。夢を語るときの彼は本当に楽しそうで、
「一度、来てみてよ」
 というのでライブにも何度か足をはこびました。

 ある日のことでした。

「今度さあ、俺のファンの集いがあるんだよね」

 は? ファンの集い? いつからそんな人気者になったんだ。
 あー、でもまあ、ライブで毎回見かける三人娘とかいたし、ありえないことではないんですかね。アマチュアバンドのそのへんって、よく知りませんが。

「でね、○○ちゃん(私の名)もさあ、俺のファンなんだからさあ、来ない?」

 はぁ?
 いったい、いつ、何時何分何秒に私が貴様のファンになったというのだ。ライブには行ったけどもそれは友達のよしみというやつで、私の音楽の趣味はおもに洋楽、しかもハードなやつ、邦楽ならセックス・マシンガンズか筋肉少女帯だってこと、貴様は知ってるでしょうに。♪夢はいつかかなうはずラララ〜♪な歌ばっかな貴様のファンのはずがなかろうが、ええ、おい。

「人数が多いほうが楽しいし」

 ああ、まあにぎやかしとして行くなら、別にかまいません。といいますか、正直、興味はあったのですよ。べつだん、インディーズ雑誌にとりあげられているわけでもない、まだまだ無名の友人のバンド。そんなもんのファンの集いに、ほいほいやってくるのは、いったいどんな人たちなんだろうと。あの、きゃいきゃいいってた三人娘(うち二人はメガネっ娘だった)とも、お話してみたいですし。

 行ってみました。

 バンドメンバーと、その友人たちの、懇親会でした。

 いやあ、夢みるっていいよね!(立てた親指を下にむけながら)

2003年7月13日(日) 委員長  

 私の職場は都内の西の方にありますが、夫の仕事の関係で、埼玉に住んでおります。毎日通勤に二時間かかります。仕事が終わって家に帰るころにはお店がしまってますから、だいたい乗り継ぎの駅周辺で用事をすませるんです。ちょっとした雑貨や洋服なんか、たいていそのへんで買い物してます。
 で、その乗り継ぎ駅というのが、新宿だの渋谷だの、遠くから足を運ぶような街ではないからでしょう、お店の人は、わたしが埼玉から来たというと、例外なくよろこびます。

「わざわざ埼玉からっ じゃ、このお店は口コミとかで知ったんですか?」

「ここまで足を伸ばしてきたということは、雑誌の広告を見てくれたんですか?」

  こういう客がめずらしくて、つい夢みちゃうんでしょうが、こまるのはオリジナルの商品なんか作ってる雑貨屋、雑誌で紹介されたことがある美容院などです。なかなか夢からさめてくれません。

「誰かお友達から聞いていらしたんですか?」
「いえ、職場への乗り継ぎ駅の近くだから、便利なんで」
「あ、職場の誰かから、ここを紹介されたんですね」
「いや、そういうわけでも」
「じゃ、雑誌かなにかで」
「ていうか、ふらっと歩いてて立ち寄っただけなんですが」
「そっか、お友達から聞いてたんですね」
「え、ええっ?」

 ・・・・・わたしの声、そんなに聞き取りにくいですか?

2003年7月14日(月) デスク

インドアで休日を過ごす事の多い(物は言い様)私ですが、昨日は珍しくアウトドアを満喫するべく、カヌーで川下りを体験してきました。
天気は曇り。数日前の雨で若干増水し、濁ってはいましたが、心配していたほど流れが激しいわけではありませんでした。
カヌーは思っていたよりも安定感があり、すこしくらいの揺れではひっくり返ることもなさそうです。先生たちも、きちんとまん中に乗って、膝でカヌーを内側から押さえるようにしていれば、そうそうひっくり返らない、とおっしゃっていました。
午前中は流れのない淵で練習です。皆のカヌーがごっちんごっちんぶつかりますが、愛嬌というものでしょう。
お昼を食べたら、さあ約6kmの川下りです。
大体早歩き程度のスピードで、カヌーは川を滑ります。
水面をわたる風。横切っていくとんぼ。生い茂る針葉樹。
約2時間程度のクルージングは、あっという間に終わりました。
いやいや。思わずアウトドア派に転向してしまいそうな気持ちよさでした。やめてっ本を踏ませないでっ!!
問題は道具を揃えるのに結構なお金がかかっちゃう事ですな!<これ以上趣味増やすのはいかがなものか

2003年7月15日(火) デスク

「ニューヨークへ、行きたいかーっ!」
「罰ゲームは、怖くないかーっ!」
一昔前の夏の風物詩、アメリカ横断ウルトラクイズ。当時、夢中になって見ていたものです。
なんとそれが、PlayStation2でゲームになっていたのです。福留さんがポリゴンなのです。成田でじゃんけんもあるのです。グアムの地を踏む事なく、飛行機で帰らなければならないかもしれないのです。どろんこ○×クイズもあるのです。ばらまきクイズもあるのです。敗者復活もあるのです。
しかし一番の売りはなんといっても福留さんのナレーションでしょう。
「こういう問題は強いんだねぇ」「これで負けてウチに帰れるかい?」「神様仏様福留様、わたくし福留が敗者の皆様に最後のチャンスを差し上げます」
なんだかもうクイズがしたいんだか福留さんの声が聞きたいんだか解らなくなってきました。まだ優勝できてません。

2003年7月16日(水) デスク

わんこそば、それは人類のロマン。
次から次へと腕へ流れ込む麺は悠久の流れにも似て、私の意志などまるで知らぬかの様にとめどなくのどを落ちてゆく。悦楽の時はあまりにも短く、やがて訪れる苦痛と忍耐。

そして、それは今夜わが家にも訪れた。

わんこホットケーキ。

眼前に置かれたホットプレート。次々ときつね色に焼き上がってゆくホットケーキ。食べ終わらない内に皿にのる神秘的かつ恫喝に満ちた円盤型。この凄惨な事件が「今日の晩御飯どうしますか? 卵使いたいんですけど」「じゃあホットケーキ」「オムライスとかは駄目なんですか」「甘くないから」というある夫婦の会話によってもたらされた事を知る者は少ない。さらにデザートまで小豆バーってどういう事だ。

2003年7月17日(木) デスク

本日の読みかけ本:「残酷」日本刑罰史 森川哲郎
なんだか扇情的なタイトルですが、中身は結構硬派です。
神代から明治に至るまでの様々な刑罰が取り上げられています。
『法は人民のためのものではなく、支配者自身を守るためのものでしかなかった。
その支配の残酷さと非人間性を見据えるためにも、日本の刑罰史を直視する必要がある』
(序にかえて より抜粋)

「チョコボの不思議なダンジョン2」のチョコボ(ファイナルファンタジーシリーズに出てくる飛べない鳥)がなんだかとっても愛らしい。後ろ姿が特にかわいい。そのぴこぴこ動く尾羽根を見て「このケツの揺らし方、たまらねえな」と口走ってしまった私の悲しみはきっと汚れっちまってる。

2003年7月18日(金) デスク

本日の読みかけマンガ:ブライトの憂鬱 竹宮恵子
「私を月まで連れてって!!」のその後が描かれています。
「私を〜」を知らなくても楽しめますが、知っている方が面白さ倍増。
ダンかっこいいなあ。

美しい景色を眺めた時、同じ人でも精神状態が違うと全く違う感想を抱く。なごんでみたり、嬉しくなったり、切なくなったり。これはもちろん景色に限った話ではない。森羅万象ことごとく、全ては受け手の気分次第でどうとでも変わっていく。なんだかすごく頼り無い世界に生きているような気がするが、だからこそ自らに恥じる事ない様、真摯に生きていきたいと思う。

という訳で今日も本を己に忠実に買っちゃいました☆<でも財布に忠実にいくとかなりヤバい

2003年7月19日(土) デスク

本日は海の日も近いということで潜水艦の中に入ってきました。
ディーゼル動力攻撃型潜水艦、ゆうしお型「はましお」。全長76m、最大幅9.9m。艦内は撮影禁止、鞄も持ち込み不可(狭い為)でした。垂直の梯子って昇り降りが思った以上にしづらいですねえ。
・潜水艦の表面は用途によって塗り替える。北の海に行くなら黒く、南なら白っぽく。音を吸収しやすい、やわらかい塗料(押すと少し凹む)を塗る事もある(本日は普通の黒ペンキ)
・トイレは海水を使った水洗だが、無音潜行中は音を出せないためバケツで流す
・潜望鏡はかなりはっきりと見える
・ベッドは激狭
・らっぱ装備(自衛隊旗の掲揚時に使用)
・ものすごいたくさんある弁や計器(天井にもびっしり)
・潜行するとテレビが見れない為、乗務員の娯楽はもっぱらDVD
・1万5千程の操作手順を覚えるための訓練期間が5年
なんといいますか「すげえ」としか言い様が。
明日はイージス艦(護衛艦)を見に行こうと思ってます。

2003年7月21日(月) デスク 

イージス艦いませんでした(泣)
昨日はましおを見た時にもイージス艦はいたんですが、潜水艦に乗れるまでに結構時間がかかりくたくたになってしまったため、今日は別の港にいるだろうと車で1時間半かけて行ったんですが。ああああ。
目当てにしていたのは最新防空駆逐艦こんごう型「みょうこう」。1996年就航。全長161m全幅21m、イージス防空システム(武器・レーダー・射撃指揮を効率的な一つのシステムに統合するもの。水上及び水中の戦闘の管制が可能)を搭載しているためイージス艦と呼ばれる。8角形フェイズド・アレイ・アンテナがイージス艦の特徴。日本に4隻しかないという滅多に見れない駆逐艦です。ああ勿体無い。

潜水艦の周りにいた自衛官さんにみょうこうが来ないと聞き、あまりの私の落胆ぶりに「お知り合いでも乗ってらっしゃるとか」などと気の毒そうに聞かれ「単なる駆け出しマニアです」とはとても恥ずかしくて言えませんでした。だってそんな目で見られちゃうと。

2003年7月21日(月) 係長

護衛艦のメシは旨かった。
「私のお友達がのってる護衛艦がいま横須賀に来てるから」
と、連れてってもらったことがあります。そんな簡単に入れるのだろうか、と思いましたが お友達パワーは凄いです。「あ、こんにちは〜」で入れました。
ソナー室?やら機械室らしい機械だらけの部屋を見せてもらったり、舵で遊んだりしたあとに 友達と一緒にお昼ゴハンをご馳走になりました。
ゆで卵のせカレーにサラダに焼き魚に味噌汁等々と盛りだくさんです。
驚いたのは炊事担当係があるわけではなく、当番制で、好きな物を作っているらしいと聞いたことです。 (艦によって違うかもしれませんが)料理が得意な人が当番の時はみんな食事を楽しみにしてるんだ、とか、 海上自衛隊の缶詰がうまい、特に赤飯がお勧めだ、とか楽しくお話してきました。 デッキをランニングしている人がいたので、「訓練ですか?」と訊ねたところ、 「あんだけのメシ食ってると太っちゃうんだよね〜、艦内は狭いからデブだと不便なんだよね、だからだよ〜」
・・・確かに説明してくれた偉そうなおじさまも立派な体格。

何年か前の誤射は、というやばい話も聞きました。
訓練にはカネと時間がかかるのに、毎年カネと人が減らされて、装備も古くなっているのにメンテが十分に行えない、
いつ事故が起こっても不思議じゃない、と。
防衛庁の仕事やあり方については色々とりざたされていますが、おじさま達が元気で楽しく働ける職場であってほしいです。

2003年7月22日(火) 係長

食わず嫌いというのは誰にでもあるものではないでしょうか。
私の場合は流行り物全般がどうにも苦手でした。
しかしいつまでも成長しないのはもったいない。
で、最近流行りの少年犯罪に関する本を図書館から借りてきました。
それでも少年を罰しますか―神戸連続児童殺傷事件弁護団長 野口義国
家裁調査官のスケッチブック―私が出会った子どもたちと少年法 寺尾絢彦

すぐに読みたいのですが、帰宅したのが午前1時。
明日のために少しだけ読んで休みたいと思います。

これらの本が食わず嫌いになっている理由はもう一つ。
よく、「犯罪を犯すのは親からの愛情が足りない子供が多い」などと擁護する意見がありますが。

わたくし、父親が母のヒモ状態だったために小学校に入学するまで
”おとうさん”という存在の意味を知りませんでした。それでもいまのところ犯罪者にはならずに 一応社会人として生活していますが? と反感を覚えてしまうのです。
被害妄想だということは理解できているつもりです。

2003年7月23日(水) 係長

内科のお医者さんとの問診。
センセー、熱が出て頭とノドの奥が痛いんですが。
僕は内科だから喉のことなんかわかんないヨ!耳鼻科にでも行けば?


外科のお医者さんに質問。
センセー、突然だけど**って、どんな病気?
ああ、ちょっとまってね、んーとさ(手をちまちま動かして)
・・・こんな手術をするんだよね〜(笑顔)
(顔をしかめて)お腹がカエルみたいにパンパンにはれてさー、
(笑顔で)中は全部血だよ? メスでちょっと切っただけでぶわーっ!! だよ。患者も大変だけど僕も大変。
身体には気をつけろよぅ、あはははは!
・・・どっちも嫌だけど選ぶなら外科。

決して、内科の病棟で「**さんちのおじいちゃん、きれいに枯らしてから死んだよね、絶食してたから臭いもないし、あれはホントうまくいったよ」という会話を聞いたせいじゃないですよ。

2003年7月24日(木) 係長

きのうとおとといの日記はシャレにならん、というご指摘がありましたので、きょうは。。。
と思ったのですが、夜12時を回って帰宅したところ、
なぜか部屋にアリさんがいます。
蜂でいうなら女王蜂クラスの羽根アリさんもいて、天井の電気にぶつかりながら飛んでいます。
2匹くらい、大きな羽根アリさんが飛んでいて、
柱の隅から少なくとも50匹以上の小さな黒いアリさんが出てきています。
 どうしよう。
私は保育園の遠足で山アリに噛まれてから、アリさんがだいっきらいな人間になってしまっているのです。
最近は寝る前に甘いものなんか食べたりしなかったのに。食べ物のカスなんて部屋には落ちてないはずだよ?
どうしよう。
とりあえず風呂に入って善後策を検討したいと思います。
 ああほんとにどうしよう。

2003年7月25日(金)午前2時半すぎ  係長

あれから2時間が経過しようとしています。午前3時をまわりました。
結局、お風呂に入る前に殺虫剤と掃除機を取り出し、 涙目でアリさんをつぶしまくり、 ひと段落したところで殺虫剤を徹底的に散布。 横山光輝の三国志全巻と、 CD多数が殺虫剤にまみれて犠牲になってしまいましたが なにせ敵はアリさんです、油断はできません。 鼻がつんとして、目がチカチカするくらい徹底的に殺虫剤を噴霧しました。
掃除機で部屋中を掃除し、もういちど部屋の隅に殺虫剤をシュー! 天井にもシュー!
枕もとに掃除機を置いたまま、あたりを見渡しましたが敵の姿はありません。 これで一安心です。やっと、着替えができるなぁ、、、と服を脱いだ瞬間。
腹の大きな羽根アリが背中にぽとり。
     ひゃぁ
泣きながら、ふりはらったアリさんをティッシュで包み、
 ぷちっ
と音がするまで潰しました。潰したアリさんの腹の中から小さな小さな卵らしき物体がはみ出したので、これも力を込めて潰しました。
 白髪が増えたような気がします。

2003年7月25日(金)午前4時18分  係長

もう午前4時をまわりました。
新聞も配達されました。外は明るくなっています。
なのに眠れません。
今は気配がありませんが電気を消すと、羽根音が聞こえるのです。
そして時々、壁にぶつかるコツン、カツン、という硬質な音。

いったい、きみたちはどこから来てどこへ行くのか、行きたいのか。
アリが怖くて眠れず、これから眠れたとして、寝過ごし仕事に遅れても構わない。
できたら私の顔には落ちてこないでほしい。
そしてできることならうちの柱はかじらないで欲しい。

2003年7月26日(日)午前9時  係長

アリさんアゲイン。
土曜日の夜は部屋に入れなかった。
土曜の朝いち、近所のホームセンターで「殺虫剤パウダータイプ」「アミ戸用防虫スプレー」「キ○チョール」等々を購入。
家の周囲に殺虫剤を撒き、網戸にはスプレーをし、進入口と思われる押入れの隅の穴に、じっとりするくらいにキ○チョールを散布した。
そして昼。
アリさんご一行、アゲイン。
もしかして家の外に脱出しようとして薬剤に阻まれましたかアリさん? 一族ひきつれて、生き残る可能性の高い室内へ移動しましたか? というくらい大量発生。
もっと詳しくいうと、カーペット30平方センチあたりティッシュ1枚消費するくらい大量発生。
カーペットにもキ○チョール。しっとりするカーペット。
そして私の部屋は、生き物の居ない部屋になった。
家主の私も、殺虫剤に負けて外に出ざるを得ませんでした。
そして日曜。昨日、アリさんが大発生した時刻が近づいています。今日も大発生したら、私は図書館へ逃げようと思います。

2003年7月28日(月) 委員長

「とっておきの席はひとつだけ」とは、誰が言ったことでしたか。

 もうこれは最後の切り札、どうしようもなくネタにつまった時に使おう、なんていう「とっておき」は、常にひとつしかない。

 だけどこの言葉は、出し惜しみしようと言っているのではなく、その「とっておき」を排出すると、また新しい「とっておき」が生まれるよ、出し惜しみせずに、どんどん、とっておきを使うと、どんどん、とっておきが生まれるんだよ、という、たしかそういう意味だったと記憶しています。

 こういう、ネタ系日記を書いていると、そうそう毎日、ネタになるようなことが起きるわけじゃありませんから、今日はなにを書こうか、パソコンの前でふとキーボードを打つ手が止まる日があります。

 そういうときは、そこそこの話でお茶を濁さず、「とっておき」のネタをご披露しようじゃありませんか。するとまた、新しい「とっておき」のネタが生まれるんです。

 そう、ネタを書けば書くほど、ネタまみれの生活――――って、ええっ?

2003年7月29日(火) 委員長

 大人になるにつれ、子どもの頃のように派手に転ぶことは、ほとんどなくなりますね。
 なにもかもがものめずらしかった幼い日にくらべたら、むやみと走り回ったらあぶないとか、ホチキスで指をはさめば泣くはめになるとか、注射は痛いけど長続きする痛みではないとか、いろいろなことを覚えていき、痛みをさける方法も覚え、だんだんと、痛いおもいをしないですむようになります。

 それはけして、悪いことではない、成長するということなのだとわかってはいるのですが。

 仕事帰りの喫茶店で、人間関係だの、仕事のやりがいだの、心の痛みにばかり眼をむける日々がふりつもっていく。
 わたしという器は、傷つけば血の流れる、そしてその傷はいつか必ず癒える、生身の身体なのだということを、ふと忘れてしまっている自分に気づく。

 ああ、時はかならず、フィジカルな痛みも、メンタルな痛みも、癒してくれるのです。
 それは薄紙をはがすように、すこしずつ、いくら目をこらしてもわからないほどに、すこしずつではあるけれど。
 この痛みが、消え去って、安らぐ日がかならず来るのです。

 ――――ってか、そう信じてないと、液体窒素で治療した足の裏のイボの痛みには耐えられません

痛みをまぎらわせようと酒を飲んだら、治療あとが脈うっちゃって逆効果。(血涙

2003年7月30日(水) 委員長

 子どもの頃はわからなかったけど、今になって、ようやくわかることって、ありませんか。
 あの頃は幼すぎて、その言葉のかげにかくされた意味に気づけなかった。
 今なら、わかるんです。
 できることなら、あの日にかえって、あやまりたい・・・・

 子どもの頃、クラスでひとりだけ、走りなわとびができなかったわたし。先生にまで罵倒され、悔しくて毎朝猛練習、そのかいあって、走りなわとびで町内一周なんてことまでできるようになったのです。
 得意になって毎朝走りなわとびに精を出していたある日、ご近所の方がうちにきて言ったのです。
「おたくの○○ちゃん(わたしの名)、なわとびがたいへん上手ですねえ。毎朝うちの芝生の庭をかけまわっていきますよ
 ・・・・・えっと、そうなんです。
 子どもだったわたしは、できるようになった走りなわとびを誰かに見てもらいたくってしょうがなく、ご近所のお庭を毎朝つっきっていたのです。当然、走りなわとびで
 今なら、ご近所さんがチクリと抗議しにきたのだとわかります。
 が、うちの保護者も保護者でして。
「まあ、○○ちゃんっ。あんたのなわとびが近所で大評判よ!
 ご近所さんと保護者にほめられて、大得意になったわたしは、翌朝から町内を二周、言いに来たお宅の芝生の庭は念を入れて二往復するようになったのでした。

 ああ、違うんです。文句をつけにきたことに腹をたて更に嫌がらせをとか、そんなんじゃないんです。ただ純粋に、ガキだったんです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・

2003年7月31日(木) 委員長

 昨日が「あの日にかえってあやまりたいこと」だったので、本日は、「あの日にかえって問いただしたいこと」を。

 わたくし、公務員をやっております。お役所では、備品が適正に管理されているか、毎年検査があります。
 ある年、その検査の担当だったわたしは、某事務所に出張して、備品台帳の検査をしました。

 すると、カメラが1台、数年前に市役所へ貸し出されたまま返却の処理がなされていないではありませんか。
 あくまで台帳上のことで、備品そのものの返却はされているのかもしれませんが、台帳は台帳、その旨の記載は適正に行わなければなりません。

「このカメラについての、貸し出し関係の書類を見せてください」

「はいぃ!」

 汗をぬぐいつつ、事務所の担当者が私に差し出した書類は、

『除雪車購入関係綴り』

・・・・あ、いや、その。

「あの、(ファイルの背表紙を見せながら)カメラについての書類をね、見せていただきたいんですよ・・・」

「ええ! それがそうです! どうぞじっくりご覧になってください!」

 え、ええっ!?



 あー、ね。えーっと。

 どうもわたし、こういう「アナタわたしノ言ッテルコト聞コエテマスカー?」な経験が多い気がするんですが。わたしの声が小さいんでしょうか。それともテキトーに言いくるめちまえばいいや、なんて舐められるような顔してるんでしょうか。

 それともなんですか、わたし、すっげーむつかしい比喩表現でも使って話してますか?


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